1 : ◆YKPE/zzQbM @ゆきぺφ ★:2011/03/21(月) 10:29:40.22 ID:???
東日本巨大地震の翌12日、避難所となった石巻市内の小学校で陣痛がきた女性を被災者たち
が手当てし、無事に男児が生まれた。

設備がない中、保健室を分娩室代わりに危機を乗り越えた。手当てした人たちは女性の名前すら
聞く余裕がなかったが、今、再会を夢見ている。

地震直後の11日夕。釜小学校に避難していた女性が陣痛を訴えた。ともに自宅が水没して
避難所にいた市内の看護師、阿部佐貴さん(25)と中川洋子さん(41)はサポートを決意。
さらに看護師の女性ら5人が加わった。

津波による浸水で病院への搬送は困難なため、女性を保健室へ。停電で校内は間もなく暗闇に
包まれた。医療設備はなく、保健室にある救急道具や裁縫道具など、使えそうな物をかき集めた。
赤ちゃんを保温するため、乳児が入る大きさの発泡スチロールの箱も用意し、保健室は即席の
分娩室となった。

「どうしよう…」。震災のショックと、出産予定より10日ほど早い陣痛に、女性は動揺して
いた。津波に自宅をのみこまれ落ち込む阿部さん、中川さんだったが、命の火を消すまいと、
懐中電灯を握り、女性の背中をさすり励まし続けた。みな地震におびえる中で必死に手当てを
続けたため、女性の名前は聞けなかった。

女性に寄り添ってから約9時間後の12日午前3時頃、男児が生まれた。別の女性が裁縫用の
糸とはさみで、へその緒を切断。産声が響くと校内に拍手が広がった。

阿部さんは「女性の安心した顔が忘れられない。それ以上の記憶はほとんどない」と振り返る。
その後、名前を聞かないまま、母子を救急隊に引き渡し、手助けした人たちも間もなく学校を
去った。

「被災地にともった小さな命に勇気づけられた。また会いたい」。阿部さんと中川さんは、
母子が被災から一歩を踏み出せたとき、再会して喜びを分かち合うことを願っている。
(丸山一樹)

(2011年3月21日09時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110321-OYT1T00181.htm?from=top




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7 :やまとななしこ:2011/03/21(月) 11:14:20.04 ID:A7amgOD+
子供ってやっぱ希望の塊だな
無事に生まれて良かった

13 :やまとななしこ:2011/03/21(月) 14:09:43.92 ID:g78brkYH
こういう話が大好きだ。
人と人の純粋な心の繋がりを感じるぜ。
災害時や緊急時にこそ、人間の真価が如実に表れるよな。尊敬!